睫毛

「――っ」

「どうかした? シオン」

 突然顔を俯かせ、利き手で目元を押さえたシオンに、ケイオスは目に心配の色を浮かべて尋ねた。

「ん……ちょっと、目にゴミか何かが――」

「ゴミ? あぁ、擦っちゃ駄目だよ」

 彼は、目を擦ろうとするシオンの手をやんわりと掴んで下げさせると、

「僕が見るよ。じっとしてて」

 柔らかく微笑んで、そっと、彼女の顎に手を添えて顔を上向かせた。そして瞳を覗き込む。異物を流し出そうと生じた涙で彼女の左目は潤んでいた。

「――どうかな、ケイオス君」

 滲んだ視界の向こうにぼんやりと見えるケイオスの顔。突然の至近距離に、トクリ、とシオンの心臓が高鳴った。これは善意の行動なんだから――と、なんとか己を落ち着かせ、様子を尋ねる。声に動揺は表れてなくて彼女は安堵した。

「うん――睫毛、だね。もう、大分取れかけてるみたいだけど」

 シオンの左目の端に涙で流れたのか一本の睫毛を見付けた。

「今、取るよ」

 そう言って、ケイオスは顔を近付け、

 ――ぺろ

 舐めた。

「!?」

 目尻に感じた感触に、シオンの身体が固まる。同時に先程の心臓のざわめきも甦って、彼女の顔は一気に熱を持った。しかしケイオスはそんな彼女の反応など全く気に留める素振りを見せず、再びシオンの目を覗き込む。

「うん、取れたみたいだね」

 シオンの目から異物が取り払われた事を確認し、にっこりと笑って彼女を解放した。

 ケイオスの手が離れ、同時にシオンの硬直も解ける。

「な――何するの! ケイオス君!?」

「何って……睫毛を取っただけだよ?」

「あ、うん、有難う。――って、そうじゃなくて! 手で取るとか、他にも方法はあったでしょう?」

「手だと、もし間違ってシオンの目を傷付けたりしたら大変だろう? 目薬だってここにはないし。あれが一番安全で、早く取れると思ったんだ」

「で、でも――」

 頬を真っ赤に染め上げて言い募るシオンに対し、ケイオスは悪びれた様子もなく、至極当然の判断だと言わんばかりの態度で返してくる。あまりに平然とした相手に、どう言葉を返せば良いのかと考えあぐねるシオン。それでも、とにかく何か言わなくては、と口を開いた彼女だったが。

「それに、ね、シオン」

 ケイオスの声が重なり、言葉を封じ込められた。

 彼は、誰もが見惚れてしまうような綺麗な笑顔を浮かべると、シオンの耳元に口を寄せ、囁いた。

「シオンにしかしないから、大丈夫だよ」

 それが決定打。

 ついに、彼女は言葉を失った。

 何が大丈夫なのかどうして自分だけなのか。そこを突っ込んでしまえば後戻り出来なくなるようなそんな気がして、結局、シオンは顔を赤くしたままそれ以上何も言えなくなってしまったのだった。